土人バンド音源Topへ戻る

  兄は中学に入った頃ギターを弾き始め 3年の石井中文化祭では、ビートルズの Let it beやGet backを演奏した 同じステージにキャロルのコピーバンドが 出ていたのだが、そこでドラムを叩いていたのが 青地君!中学時代は二人にあまり接点はなかったらしい 同じ大安寺高校に二人は進学意気投合し ジミヘン等のブルースロックをやることに 同じ石井中で関西高校に進学した 井上君をベーシストに迎え バンドの歴史は始まった! 長谷川楽器で練習をしていると 関西高校の諸先輩などとも仲良くなって その中のひとり黒崎さんに 「たけお!おめー顔が土人に似とるな〜   バンド名は土人バンドにせー!」 この一言から以降土人バンドを名乗って活動していくのであった!
8・8 Rockdayは関西・中四国を中心としたYamahaのコンテストで アマチュア・バンドの登竜門的なイヴェントだったはずだ。 5月位から、各地区の予選が始まり、2次予選を通過すると 8月あたまに行われる本選大会に出場できるわけだ。 関東では『EAST WEST』が有名で、サザン・オールスターズや カシオペアなどがデビューを飾っているが、88ロックデイでビッグ なったアーティストはいたのでしょうか・・・・・・・・・・・・。 4歳上の兄は、高校へ入学し先輩に感化され、ブルースに夢中になり始めた。 (この時俺はまだ小6だもんね!) バンドも、クリームやジミヘンのコピーから、BBキング、オーティス・ラッシュ や日本人で関西ブルースの重鎮ウエスト・ロードなど本格的にブルースを レパートリーとし、熱心に練習していった。 兄のバンドは高3の頃には、トリオからキーボードも加えた4人編成となり 88ロックディ’79の予選に出る事になった。 順調に予選を通過し、遂に大阪で行われる本選出場を果たした! その時演奏した曲は "Gamblar's blues" "Everyday I have the blues"だったはず! 中2の頃、兄の影響でバンド、しかもブルースなどをショボショボと 始めたのだが、一年後の春に、初めて人前でそれを披露する舞台として 選んだのが、88ロックディの予選だった。ちょっとした思い出にでもなるだろう と、軽い気持ちで踏んだ初のライヴで演奏したのは "That's alright"(ジミー・ロジャース) "I'll play the blues for you"(アルバート・キング)の2曲 たまたま、その場に居合わせた兄のバンドでKEYを弾いていた人も 飛び入り参加で盛り上がり、それなりに楽しんでメデタシめでたしのはずだった・・・ 審査員で来ていた元ウエストロードの塩次伸二氏 は中学生がブルースを演奏するのが、物珍しかったのか なんと一次予選を突破してしまったのだ!これには皆おどろいた! とりあえずもう一度ライヴが出来る!しかも次は、福祉会館という すこし大きなハコで!!そんな喜びで満ち溢れたいたはずだ! 二次予選の中・四国大会で覚えているのは、ステージに立つ前に 審査員控え室で、各自自力でチューニングをせよ!との事。 チューニング・メーターは当時は高価なものだったし、あまり普及 しておらず、あたり前の事ではあるのだが、今思えばそれも審査の 一環だったのかもしれないね! ここでも審査員は塩次氏だったのだが、なんと二次予選も通過で 大阪万博記念公園ホールで行われる、本選大会への出場が決まった! そして、ブルース・スクウィザーという若干15歳の子供たちは、 でっかいホールで舞い上がったまま、"That's alright"を熱演! 審査員の皆様の粋な計らいで、見事新人賞を受賞したのでした YAMAHAの88Rockdayのサイトはこちら ↑リンク先の80年のフライヤーに写っている男が前年度に 俺の貸したセミアコで出場しベストギタリスト賞をとった、兄なんですね! ’79のページを開くと俺がなぜ、ドジなのか分かると思います! 高校時代は兄のバンドの名を2(U)として、引継ぎ活動してました! 
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